コラム

 

水、住む世界、霞ヶ浦の豊かな景観

伊藤 春樹

1.はじめに
 
なぜ今、景観か
 霞ヶ浦のあり方は水を抜きにしては語れないが、水だけに目が向いていては霞ヶ浦がよく見えてこない。水にかかわる人間を含む生物の豊かな営みを景観を通して見てみよう、学ぼうということがある。さらに視覚環境は知らず知らずのうちに、共同体意識や人間の性格までかかわってくる存在である。今後、霞ヶ浦周辺に市街化の波が汲ぶことを考えればなおさらのこと、霞ヶ浦の景観の価値を知り、計画的な景観づくりを進める必要があると思う。

景観とは
 景観とは、眼前に広がる自然やまちなみの景観だけでなく、味わった後の印象や日常生活から認識している地域の領域をも含む。また景観には、自然地形などの素地と、人を含めた生物の営みが表れており、人の表情・存在感と似ている。さらに景観と営みとの関係は「人は景観をつくり、景観は人をつくる」というように相互作用がある。
 その意味で、景観をより良くしていくためには、景観の背後にある営みの状態を良く知り、改善していくことが大切である。一方で景観は人の衣替え、住まいの改築のように、整備により内面にある個性が引き出されたり、環境が活性化されたり、地域構造が明確になるという側面をもつ。このように、景観にも人と同じように、表と裏や、外面と内面があり、この両面に働きかけることや、骨格やヘソをおさえることが景観整備のポイントである。また、これからは自然に対して人間の影響力が大きいことを前提として、人間も生物の一員という視点での、自然環境を育てる景観整備が模索されなければならないと思う。いずれにしても霞ヶ浦の景観を考える前提として、地域像をどう設定していくか、今後、明確にしていくことが必要である。以上のような視点を持ちながら、水を楳体にした人や生物の住む世界、霞ヶ浦の豊かな景観をひもとく。
 
2 .霞ヶ浦の景観の見方

 霞ヶ浦の景観は霞ヶ浦から見える範囲が考えられるが、ここでは霞ヶ浦の水に影響する流域や、イメージでとらえる山、川、海の範囲、つまり筑波山間辺から太平洋までのエリアをとらえる。直接的に霞ヶ浦の景観に影響が大きいのは、水面から低地、台地際周辺までの範囲でここに関与しているのは集落とまちの営みである。次に霞ヶ浦を視点の違いによってどう楽しめるだろうか。

見通しのきく場所で全体を眺め楽しむ方法
 「空」は霞ヶ浦周辺と筑波山を全体的にみる視点である。ここからは自然地形、水面の広さ、湖岸沿いの水田、点在する集落、土浦の市街地すべてが目に入る。日常の視点では部分、部分のイメージはわかるが全体はイメージしにくい。空は部分と全体の関係をつかむ大切な視点である。
 「山」は飛行機がなかった時代まで、自分が住んでいる世界を眺めることができた場所である。筑波山中腹から霞ヶ浦を眺めると、かなたに水面が見えることにより、ホッとしたり先への期待感をもつ。山〜川〜海という自然の系も、視覚的にとらえられることで身近に感しることがでさる。この眺望景観は、土浦、学園都市など違う地形立地に住もうが、皆が大切にすべさ景観である。
 「台地際」は住み慣れた集落やまちの景観を、身近な所で見下すことができる場所である。霞ヶ浦潮岸の集落ではこのような場所が所々にあり神社やお墓だったりする。
 「水際」は霞ヶ浦の豊かな景観を満喫できる場所である。堤防やタワーからは筑波山の眺望、水辺景観、集落景観を一望にでさる。そのため家族連れ、若いカップルも目立つ。それだけここには人を魅せるものがある。

車、船などに乗って変化する景観を楽しむ方法
 「坂」では眺望とともに移動しながら変化する景観を楽しむことができる。集落と台地の畑を結ぶ道や、かつての街道、新しい道路だったりする。残念ながら坂を下り水際までスムーズに行ける道は少ない。
 「湖岸道指」では車から日常的に雷ケ浦の景観を楽しむことがでさる。例えば国道125 号沿いは、水辺まで水田・ハス田の景観で遮るものがなく、霞ヶ浦の水面や筑波山が眺望できる。最近、所々に沿道サービス施設や、看板、電柱の立地が見え始めている。また、湖岸道路は自然の系を横切るように通っているため、通報を横切る小動物の姿が見られる。霞ヶ浦大橋、稲敷大橋などの橋では眺望を楽しむことができ、また一方で、橋はランドマークとして重要である。 「水上」では陸・方向の眺望を自由に位置を変えて楽しむことが可能である。ヨット、ウインド・サーフィンをはじめ、最近ではモーター・ジェットも横行している。筑波山の存在により、雄大な景観を楽しめるが、筑波山が視野に入らない場所は、平坦さや塵丁調さが目立つ。

いろいろな景観をつなげて味わい、地域の印象を楽しむ方法
 「はじめて霞ヶ浦を訪れた観光客」は、列車から見える桜川や、霞ケ浦土浦港、観光船からの筑波山の眺望など、主要な景観をつなげて霞ヶ浦をイメージする。
 それに対して「住んでいる人たち」は、通りやまちなみ、橋、屋敷の構え、神社、水指、臭いなど、もう少し身近な景観に関心をもち、その印象の積み重ねから、自分達の生活領域や、他の地区との速いを認識している。
 このように霞ヶ浦の景観は、見る場所や人によってとらえ方や感じ方が違う。さらに周辺地域から霞ヶ浦に近づくに従って、河川、掘、水路とポプラ、ため池、水天宮の祭など、水景観や水のイメージか豊かになることがわかる。
 
3 素朴な霞ケ浦の景観

 霞ヶ浦の豊かな景観は「素朴さ」にある。その「素朴さ」からは、よ く見ると 「シンボル」、「安息」、「共生」、「多様」 というキーワードが読み取れる。一見、静的に見える素朴な景観には、共生に対して対立、多様に対して統一という対立概念や過程が見えかくれする。このキーワードは良い時間をかけて人間社会が自然との関わりから得てきた知恵であり、大切にすべきものである。こ の景観は住んでいる人が日常的に慣れ親しみ、関わってさた景観である。しかし素朴な景観は、住民にとって見慣れすぎているため、その価値を意識できない。

・筑波山の眺望景観【シンボル】
(湖岸の田園と霞ケ浦の水面越しにみるどっしりとした筑波山の眺望景観は、人間の自然に対する愛着や畏敏を育んできた)
・水辺景観【安息】
(茫洋とした水面と、水草・鳥の自然や、船穀が見られる水辺景観には、人の心をなごませる力がある)
・湖岸の集落景観【共生】
(斜面林を背にした落ちついたたたずまいの家々と、前面に水田・ハス田が広がる集落景観は、自然と一体となり、自然を活かし耕してきた知恵を教えてくれる)
・まちの景観【多様】
(水利を活かして栄えてきた庶民的な賑わいのあるまちの景観は、いろいろな人やものが集まって住む知恵、水の豊かなイメージを教えてくれる)
(1 )霞ヶ浦と筑波山

心なごませる霞ケ浦の水辺景観
 霞 ヶ浦の魅力は、広がりのある水面である。朝夕、気象、季節の変化に従っていろいろな表情をみせる。海のような日の出、夕日に煙る紫峰と霞ヶ浦、風雨の強いときの水面の荒々しさ、春霞ただよう春先など、心をうつ景観がある。さ らに土浦入り、高浜入り、浮島、牛掘など場所により水辺景観のイメージが逢う。また土浦入り、高浜入りでは対岸のようすが互いに分かり、一体感がある。現在は対岸どうしの交流が弱くなったが、この一体感は行政体を越えて大切にすべさものである。
 水際の表情は水辺景観の印象に影響する。現在の水際はコンクリート護岸で単調で冷たい人工的なイメージが強い。さらに夏発生するアオコや、ゴミでイメージを落としている。それでもヨシ群落や樹木のある所は水際線が変化に富み自然的イメージが強くなり、水鳥の活動も見られる。また直接、水に触れることができる砂浜では家族連れや若者たちで賑わっている。水際にある舟溜まり、水面にある養魚施設からは沿岸の人々の生活の臭いがする。このように水際は人を含む生物にとって活動的な場所で、覆ケ浦の津化を図る上でも重要であり、豊かなイメージの水際をつくりだしていくことが必要である。

筑波山の眺望景観
 霞 ヶ浦から見る筑波山は、霞ヶ浦の景観の豊かさを引きだしてくれるシンボル的な存在である。見る場所により筑波山はいろいろな表情を見せてくれる。平坦な霞ケ浦周辺から突出した筑波山の景観は、古くより、この地に生さた人々の心を引さつけてさたに違いない。時代が変わろうとも、この眺望景観がしっかりしている限り、自然に対する愛着や畏敏はなくならないであろう。その意味では、霞ヶ浦周辺からの筑波山の眺望景観を大切にすべさである。と同時に雷ケ浦(凹・水)の再生を図る上でも、山、川、海の自然の系を構成する筑波山(凸・緑)を位置づけることが重要である。
 霞 ヶ浦と筑波山への万葉人の意識が、富士見塚古墳(出島村)からうかかえる。この古墳は6 世絶初頭のものとされる前方後円墳で、最近、付により史跡公園化されたものである。ここの場所からは霞ヶ浦(高浜入り及び三つ又方面)を一望できると同時に、背後には筑波山系の山並が見え、古鳩の紬線は筑波山を指している。ここでは現代人が忘れているゾクッとする空間体験がでさる。この場所の立地選定には、自然地形や景観の条件を読んで使いこなす万葉人の豊かな感覚が見られる。
(2 )霞ヶ浦と人々のくらし
 水と共に生きてきた人々のくらしが、湖岸の集落景観や、まちの景観に見られる。湖岸の集落景観には、自炊州条件を巧みに活かしなじみ、自給自足を基本とした姿が読み耶れる。それに対して、土浦や高浜、牛掘などのまちの景観には、水と戦い水を制御しようとしてきた姿や、水運の利を活かしいろいろな人やものを集め、交易し、高密度で住む工夫の姿が読み取れる。このような営みの蓄積があってこそ、霞ヶ浦の景観が成り立っている。まず素朴な景観から意味や知恵を学ぶことが霞ヶ浦の景観のあり方を考える出発点である。

集落の景観
 沖宿(土浦市)は、湖岸に立地する半農半漁の営みをもつ200 戸程度の湖岸の集落である。半農半漁といっても、漁業、農業を各々営む家、両方を営む家という構成であったという。今では勤めが主で、農業、漁業の専業という家は少ない。漁業をやる人はハス田を組み合わせて生計を立てているのか現状である。 台地端から集落を見おろすと屋敷林に囲まれた農村景観、霞ケ浦から見ると舟溜り、養魚施設がある漁村景観と、両方のイメージをもつ。二つの性格を物語るように、台地には鹿島神社、斜面林のある台地際には生活の守神である火の神様(三峰神社)、水際には漁業の守神である水神様を祭っている。この台地際と水際は、景観や環境を保全する上で重要な場所でもある。
 集落の構或を断面でみると、台地際から低地にかけて居を構え、台地に畑、谷津・湖岸低地に水田・ハス田を耕し、湖岸近くの水面には養魚施設を設置し、深いところは漁場となっている。このように集落は台地、低地、水面というように断面で生活・生産を営んでいる。
 台地際は北風を防ぎ、湧水を得、低地と台地にある農地へ耕作に出かけるのに都合のいい場所である。さらに湖岸に迫り出した水際は漁場への行き来など漁をする上で条件がいいと思われる。このような条件により半農半漁の営みの集落を形成していったものと考えられる。
 屋敷はよく手入れされた防風用の生け垣や屋敷林が見られ、家屋は瓦屋根で在来工法で建てている。漁をしている家では漁具をほしている姿も見受けられる。
 沖宿をはじめ柏崎、浜、木原など湖岸の集落からは、このように自然ととともに生き、伝統を大切にする営みが伺われる。景観を支える生活や生産がともなってこそ、持続性の高い景観となる。

まちの景観
 まちの景観の代表に土浦がある。土浦は、桜川の河口に形或された近世の城下町を基盤にして、水運の利を活かし発達してさたまちである。中城町、東崎町、川口町、匂町、朝日町などの旧町名からもまちの歴史の変遷が思い起こされる。
 水防と防術を兼ねた旧土浦城を中心としてめぐらせた掘の存在は、本丸周辺にしかその名残を見ることができなくなったが、かつての掘沿いのまちなみや川魚問屋の店構え、そして人々の人情や祭に、霞ヶ浦と共に生きてきた姿をみることができる。
 港は霞ヶ浦の水との関わりが強い場所である。ここ、土浦港の第二ドックは、かつての漁船や運搬船の姿は陰を潜め、変わってヨットやモーターポートが停泊し、港の周囲は駅に近いため、業務ビルが建ち始めている。かつての面影はなくなったが、現在でも港は、舟やレクリエーション客が集まり、賑わう場所である。
 港から旧川口川(現在は暗渠)をさかのぼった所の川口界隈は、川魚問屋が軒を並べた所で、その名残をのこすまちなみや路地が所々に見られる。この川口では7月20日には、水難防止を祈願して水天宮の祭礼が行われる。若衆が町内を御輿を担いで練り歩くが、担ぎ手に水をかけるのか、この御輿の特徴である。このような景観から霞ヶ浦と人々の暮しの結び付きが読み取れる。 旧土浦城の本丸と周囲の掘は市民の想いの場として公園化され残っている。人工的なイメージの市街地の中にあって掘周辺は、まちの潤いの場として、さらに掘の水とシイの老木、櫓か重なり、歴史的な水のイメージを印象づける。こ のように景観とその印象を、ひとつひとつをつなげていくと、今では見えにくくなっている霞ヶ浦と関わりの強い土浦が見えてくる。景観とはとらえ方と同時に、つくり方の上でも、このような印家をつなげていくことが大切である。
 
4 霞ケ浦の新しい景観

水辺の価値

 自然的なイメージの強い霞ヶ浦周辺の景観も、首都圏からの開発の波により、湖岸低地でも住宅地や工場など新しい営みの景観が見られるようになった。また水質の悪さか問いただされなからも、水際には釣り客、ウインド・サーフィンを楽しむ若者などが集まってくる。水には本来、心をなごませる性質を持っている。霞ヶ浦をかかえる阿見や美浦に、近年、住宅地開発が盛んなのも、地価だけではない水辺の価値があるのかもしれない。

住宅地、工場の景観
 新しい住宅地や工場の景観は、歴史的な蓄積をもち自然と一体となった集落景観と違って、それぞれが思い思いの建物をたて集合した景観となっている。この景観は、都市から農村への要請によって生まれたとも受け取れるが、農村の営みの崩れ・変化の結果とも理解できる。いずれにしろ霞ヶ浦の恩恵を受けておりながら、受給のみで或り立って形成される景観は、かつての素朴な景観の成り立ちからは程遠い。新旧共にもっと積極的な景観づくりを目指すときではないのかと思う。

各地での親水整備
 最近、土浦の霞ヶ浦運動公園の水生植物園や、出島村の歩崎地区公園、玉造町のふれあいランドなど、水辺での親水整備が積極的に進められている。かつての海水浴場で賑わった場所が多く、覆ケ浦の眺望点の整備、水際のモデル的な整備、砂浜の再生などに取り組んでいる。このように霞ヶ浦の景観の価値を引さ出すような拠点の整備を積極的に進めることが大切である。その場合、島的に整備するのでなく、地域の活性化にもつながるような配慮か必要である。
 また一方で、より自然度の高い水辺の整備を積極的に進めたい。ここは霞ヶ浦の生物相を豊かにし、野鳥観察や環境数育の場としても活用されるだろう。
 
5 まとめ

 以上、霞ヶ浦の景観の豊かさや課題について述べてきたか、今後の霞ヶ浦の景観づくりを進める上で大切にすべさ点を、提示しておさたい。

将来、素朴さが価値をもつ
 霞ヶ浦湖岸の現状は、水の汚濁が進んでいることや、湖岸低地が水田地帯ということで、開発されないで素朴な景観か残っている。しかしながら今後、市街化の波が霞ヶ浦周辺に汲ぶことを考えると、将来、この素朴な景観は心やすらぐ存在として、相対的に価値を増すものと思われる。その意味で今、この素朴さを充分、認識しておくことが大切であると思う。

水際・水を媒体にしたワクワクするしくみをつくる
 素朴さを活かし育てることを、霞ケ浦の景観づくりの基本とした場合、農地、山林、ため池の荒れ地化、農村生活の都市化に見られれように、集落の営みが崩れてきており、素朴な景観を日常的に支える、新たなしくみが必要である。さらに素朴さだけでは全体的なメリハリに欠け、人と自然、人と人とのワクワク七た関係が生まれない。親水性の高いレクリエーンョン拠点などの整備(動)と同時に、より自然度の高い環境づくり(静)が大切であると考える。事 例として、最近、整備されたレクリエーション拠点が上げられるが、整備により地元の人も外からの人も、素朴な景観を別の視点から楽しむことが可能となり、霞ヶ浦浦の景観に興味や関心をもつようになってさた。そのようなワクワクする場所は単にレクリエーション的な場所だけではない。舟の出入りで賑わう港や、より自然的な中で多くの鳥や植物に出会える場所や、縄文人の生活を思い淳かべることのでさる場所、四季ごとに変化する水田を見ることのできる場所も、現代人にとってワクワクする場所である。
 霞ヶ浦の景観は、あくまで筑波山や海までを含むが、このように陸域と水域との接点である水際が、日常性・非日常性を含め、人と自然、人と人のワクワクするしくみをつくり出す上で重要な場所であると考える。水際で筑波山の眺望景観の魅力や霞ヶ浦の健康状態を知ることが、霞ヶ浦再生の第一歩である。さらに水に結びついた生活空間、橋、録や花、祭や物語、地名など、身近な所での水景観や水のイメージを豊かにすることが、霞ヶ浦景観の奥行さをつくると考える。

 次に、水辺景観について今後の議論の材料として具体的な提案をしてみたい。

水辺の公共性、親水性、薄化能力の確保
 霞ヶ浦の現状を知り良くして行くためには、まず人が水際に行く、行さやすい、行きたくなるの段階に応した手だてが必要である。さらに水際は水鳥や魚が棲みやすく、さらに水質浄化に役立つようにすることが原則となる。そのため集落、まちに関係なく水辺は、一般の人が出入り自由な公共的な空間として位置づけ、親水性を高め、自然浄化能力のある断面とすることが大切である。水辺景観はまち、集落、レクリエーション地に分け性格づけして整備・誘導することが考えられる。

まちの水辺
 まちは多くの人が集まる場所であり、潤いのある水辺、賑わいのある水辺など性格づけをして、水景観や水のイメージを豊かにする。水辺では今後、住宅地・商業地開発など多様な開発か予想されるが、水辺でのオープンスペースの確保や、遊歩道・サイクリングロードなど公共的な動線の確保、緑化、さらには霞ヶ浦の水辺、川、港と一体となった市街地景観の誘導か必要である。陸地側に水指をほりこみ親水ゾーンをつくることも考えられる。

集落の水辺
 住んでいる人の営みを基本として素朴な景観づくりを進める。湖岸の大部分を占める集落の水際は、公共と住民の協力により、胃壁のように凸凹の変化をつけ接水面積を増やし、そこをヨシ群落や砂浜として自然浄化機能を高め、景観的にも変化をつくることを検討する。休耕田を活用しレンゲ畑、菜の花畑などによる景観づくりも考えられる。身近な水景観は気が付かないでしまうが、貴重なものがあり、発掘し環境読本として絵本にまとめることはどうだろうか。

レクリエーション地の水辺
 かつて水泳場であった場所など湖岸の所々に、来訪者や流域住民か、筑波山の眺望や霞ヶ浦の水辺景観を楽しみ、集落景観の良さにふれることができるようにする。水辺景観が手入れされいきいきするためには、住んでいる人との交流がでさるしくみが大切である。水際は砂浜の再生や八ツ橋などにより親水性を高め、さらに浮御堂などの眺望点の整備を行う。この場合、タワーのような眺望点は、周囲との調和を図りながら、ランドマークとして積極的なデザインを行う。
 さ らに松、ポプラ、柳など樹木による景観づくりを積極的に行う。場所によっては荒れてきている山林からため池、谷津田の系を、環境教育や市民農園などへ活用することも考えられる。
 具体的な例としては、出島村の歩崎地区公園のように、歴史や景観資源に新しい要素を加えて地域景観になしむようにつくる場合と、ふれあいランドのように新しい要素を人工的に、集落景観と対比的につくる場合がある。土浦の水生植物園のように、まちに近いところで自然度の高い場所をつくる場合もある。

水面
 水辺景観に変化をもたせるため、ランドマークの整備や水面の浮遊物での景観づくりなどの工夫が検討されてもよいのではないか。例えば風力や太陽エネルギーを動力傭としたフロート式の島(ひょっこりひょうたん島)をつくり、水上での公共的な眺望点として、野鳥観察や浄化キャンペーンなどの各種イベントの場として活用することが考えられる。土浦入り、高浜入りなど場所を移動でさ、これにより水辺景観に変化をもたらし既存の景観資源を活用でさるものと思われる。

水辺のイベント
 里美村で行われたクリスト展のように、水辺を環境芸術の場として活用することや、ヨットレース、自転車のロードレースなどに取り組んでいくことが考えられる。イベントを通して流域住民が霞ヶ浦に関心をもち、さらに素朴な景観の価値を引き出すいい機会になる。実行にあたっては対岸町村同志で進めることも必要である。

その他
 湖岸道路は景観道路として沿道景観のコントロールを考えていく時期にさしかかっている。また湖岸道路は台地、低地、水際という自然の系を横切っており、動植物の住みやすい環境づくりからの配慮も必要である。台地と低地をつなぐ坂がいたる所にあるが、坂の景観づくりや坂−水際へ至る縦の道(横の湖岸道路に対して)を所々に整備して水際へ近づきやする。
 台地際の斜面緑地は覆ケ浦の水辺の安らぎを高める景観要素で、ここは湧水やシイなど費重な自然が豊富であり保全する。さらに台地際は、霞ヶ浦の眺望を日常的な空間の中で楽しめる場所であり、公共的な眺望点を整備する。
 水際には多くのつり客がいる。霞ヶ浦の健康状態や自然生態を知る上でのモニターとして検討してはどうか。
 霞ヶ浦周辺の位置づけについては、今後いろいろな方面から検討されると思うが、資源を有効に接続的に活用する方法として、霞ヶ浦をフィールド博物館としてイメージすることも一つであろう。
 
(「霞ヶ浦再発見〜ひとと生き物の共生をめざして〜」/伊藤春樹,守山弘,春日清一/1993.3/霞ヶ浦研究会)