1996年7月1日 第3号
発行=草子舎

「アオバズク」
夏から春の風景へ

野末たく二

 吉瀬の春は、集落の外れにある雑木林から始まる。雑木林のことを在の人は「やま」と呼ぷ。山国育ちには、起伏のない林を「やま」と呼ぶには少なからず抵抗を感じるが、集落の外れにある雑木林は、日常の暮らしとは異質の空間をつくり出す。その意味では、たしかに「やま」なのかもしれない。
 冬の間眠っていた「やま」が動き始めるのは、3月も半ばごろ。寒い日と温かい日が交互にやってきて、頬に触れる風の生暖かさにある日気付くと、目の前の「やま」がぼっと霞んで見える。その頃、里では梅が満開だ。
 梅の開花を見計らってウグイスが来たりするが、ことしはいつまでもモズが居座って、事務所の梅にはとうとうウグイスは来なかった。それでも二、三軒先で鳴いてくれるから春の訪れは十分に知れる。
 梅が終わり、コブシが終わり、そして桜が終わると、ケヤキが芽を出す。この頃、里は田植えの準備に忙しい。機械化が進み、兼業化が進んだお陰で、まとまって休みの取れる5月の連休は田植えのシーズンだ。
 「やま」は山桜の葉がりっぱな若葉になり、葉脈が透けて見えていたクヌギやコナラなどの新芽がすっかり一人前に成長している。このわずかな間の成長は人を不安にさせる。
 命の横溢。人がこの時期に気持ちを病んだりするのは、植物のエネルギーの強さと関係しているのかもしれない。「やま」や里の木々がすっかり若葉で装いを済ませたころ南から鳥たちがやってくる。
 ぴっ、ぴっと水の張られた田を打つのはツバメだ。夕方、しばらくツバメの飛ぷのを眺めていると、風が水の匂いを運んでくる。そして、背後で懐かしい、「ぽっ、ぽっ」という声。たしかに、二回、「ぽっ、ぽっ」と。アオバズグだ。
 ことしアオバズクを最初に聞いたのは4月30日。漢字で青葉木莵。青葉の頃のフクロウの意味だ。前日は「緑の日」。名前通り、来る日を心得ている。アオバズクは、ミミズクやフクロウに比べて小型で、人家の近くに巣を作る。巣は、大きな木の穴「うろ」にあるが、最近では数が滅り、例にもれず絶滅危惧種になっている。
 アオバズクが里に来る頃、「やま」にホトトギスがやって来る。そしてカッコウがやって来る。夏の役者がすっかりそろい、夏も本番に差しかかる頃、ケヤキの技先でアオバズクの幼鳥が、飛行訓練をする。はたしてことしはいつごろか。夕空のスカイダイビングを心待ちにしている。

夏の使者アオバズク

【ジュニアクラブ】小・中学生のためのネイチャー教室
自然の味を楽しもう

 イチゴ、といってどの季節を思いうかべますか。今ではクリスマスのころに店にならぷから、冬をイメージするかもしれませんね。冬のイチゴは、温室(おんしつ)でつくるからで、ほんとうにイチゴがなるのは夏です。イチゴは、農家の人が栽培(さいばい)するものですが、野山には自然に生えるイチゴがあります。家で食べるのとは違った自然の味を楽しんでみましょう。

赤い実のクサイチゴ

甘いクワの実
 野山で見つけやすいのがクワの実です。畑でカイコに食べさせるために栽培しているのと違い、山のクワはずっと大きく、大人の人がやっととどくくらいの高さに実がついています。
 クワの実は、3つにさけたどくとくな形をしています。実は、葉のかげにかくれるようについています。よくうれた実は黒に近い色をしています。その形をよく見てください。つぷつぷのいっぱいついた実には小さなトゲがあります。少しチクリとしますが、そのあまさには勝てません。もぐもぐ食べているうちに、クマの気持ちが分かるような感じがします。そして、食べ終わったらぜひ鏡(かがみ)をのぞいてみて下さい。赤いひげのお化けはあなた自身です。

クワの実は黒いものが食べごろ

少しすっぱいキイチゴ
 キイチゴは、バラのなかまで、枝や幹にトゲがあります。花は、イチゴと同じような白いかわいい花がさきます。花がおわった6月ごろ、黄色や赤色の実がなります。
 キイチゴには、クサイチゴ、ナワシロイチゴ、モミジイチゴなど何種類かあります。いずれも少しすっぱい自然の味がします。
 そのはか、このころ食べられる実にグミのなかまがあります。また、栽培しているものではブルーベリーなどがあります。それぞれ食べ比べてみてください。また、たくさんとれたらジャムにしてみるのもいいですね。あなたオリジナルのラベルをはれば、手づくりジャムの出き上がりです。

野山探検の注意
※注意1 野山に出かけるときは、一人ではぜったい行かないこと。友だちと、そしてできたら大人といっしょにいこう。服装は長そで、長ずぽん。ぼうしもわすれずにね。
※注意2 6月の野山は川の近くや少しじめじめした所にマムシ(毒をもったヘビ)がいるかもしれません。やはり、大人の人と注意しながら探検してください。
※注意3 植物は、毒をもったものがあり、食べると中毒をおこすものがあります。また、残念なことですが空から農薬をまいたりします。そうした所はいかないようにしなくてはなりません。あらかじめ探検する場所を大人の人に簡いてたしかめたり、食べられるものかどうか植物図鑑(ずかん)で調べましょう。

クワの歴史
 最近、クワの畑が少しずつへっています。小さなクレーン車で、クワを抜いている所を見かけたりします。クワのなくなった畑は、別の作物が植えられたり、家がたったりします。もともとクワはなんのために植えられたのでしょう。
 クワ(桑)は、カイコ(蚕)が食べる葉、つまり「くうは」の意味だと言われます。カイコは、ガの仲間で、サナギをつくる時にたいへんきれいな糸をはき、繭(まゆ)をつくります。この細くかがやいた糸が、絹(きぬ)です。
 絹は、中国から伝えられました。美しい絹織物(きぬおりもの)を求めて、中国には世界中の人が集まりました。その当時の人たちが通った道がシルクロードです。

カイコ この小さな虫が絹糸を生み出す

カイコを調べる
 クワは、カイコのエサとして栽培されてきましたが、クワ畑が少なくなっているということは、農家でカイコが飼われなくなったということです。
 日本は、明治・大正時代には絹の産地として世界に知られるようになりました。茨城県は、長野、栃木、群馬などの県とともに日本有数の養蚕(ようさん=カイコを飼うこと)の盛んに行われていた所です。とくに茨城県の養蚕の歴史は古く、平安時代の記録には茨城県の絹織物が、京の都で名産品として知られていたと書かれています。このはか筑波山の近くには、日本でただ一つ、カイコの神をまつる神社、蚕影山(こかげさん)神社があります。
 このように、桑は古くから人の暮らしとむすぴついていました。今、その歴史がなくなろうとしているのは大変残念です。農家には、まだカイコを飼う部屋が残っているかもしれません。また、まだ飼っていたりカイコの飼い方や仕事の大変さをおしえてくれる人がいるかもしれません。ぜひ、そうした話を聞いてみてください。

一度このまゆの中で寝てみたいもの

【フィールド・ノオト】
にぎやかな沼の夏休み◆天王池とフォンテーヌの森

 関東平野といっても、実際は真っ平ではなく、いくつものなだらかな丘が平野の中にあります。そのわずかな起伏の高低差を利用して造られたのが農業用の溜池です。溜池は、用水路が整備された現在ではあまり見かけなくなりましたが、天王池は、数少ない溜池の一つです。
 天王池は、吉瀬集落の背後にあります。その歴史について詳細は分かりません。元々は雨水や湧水を水漕としていたと思われますが、現在では農業用水を引き入れ、それを水源としているようです。池の大きさは、大きな公園のグラウンドほど。池周辺は雑木林が広がり、オートキャンプ場「フォンテーヌの森」が整備されています。
 「フォンテーヌの森」は、首都圏に身近なオートキャンプ場として、平成3年にオープンしました。キャンプ場は一年を通じて多くの人が訪れますが、付属の農園もあり、週末には、近くの農家の野菜を売る産直店が開かれます。まさに、農村ならではのキャンプ場と言えます。
 5月ごろのハスのかわいらしい浮き葉は、今では茎が水面から力づよく伸び始めるまでになりました。もう1か月もすると、池はハスの葉でおおわれます。そして夏休みのキャンプ場は、一年で一番にぎやかな時を迎えます。とくに、フォンテーヌの森のわんばくキャンプは、夏休みのビッグイベントです。このわんばくキャンプは、フォンテーヌの森が毎年主催しているもので、昨年は、竹を切り出し、インディアンのテント、インディアンテピィーを作りました。親元を離れて過ごすキャンプは子どもをたくましくします。
▽フォンテーヌの森=つくば市吉瀬1247−1/電話029-857-2468


◇夏らしさとは、「気温の高さ」とイコールという思い込みがある。実際は「湿度の高さ」だ◇6月のある日、湿度が低く、さわやかな一日があった。その日の気温は20度後半。ところが梅雨に入り、気温はさして変わりないのにむっとする日が続く。肌にまとまりつく不快感は、暑さとイコールだ。温帯モンスーンの日本をつくづく感じた◇この蒸し暑さと、どこまでも見通せる乾燥した地中海性気候は、日本とヨーロッパの互いの文化の形成に大きな影響を与えたと言ったのは、和辻哲郎の「風土」だったか。確かに梅雨空をじっとにらんでいると細かなことは、どうでも良くなるナ。でも、日本人の几帳面さは、季節の変化に応じ暦通りに一斉に農業を行わなければならない慣習から生まれたというイザヤ・ベンダサンのような考えもあるゾ。ま、どうでもいいか◇今頃の季節は、旧暦では皐月。五月雨は梅雨とほぼ同義で、皐月晴れはさわやかな日というより、梅雨の晴れ間。野生化した桑の葉は一日一日ごとに大きくなり、けやきの大木の下の泉の量も増えた。いずれにしても旺盛な生命力を感じる季節であることに違いない。

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