1995年12月1日 第1号
発行=草子舎

12月の風景「キツネ」
野生のまなことの出会い

野末たく二

 筑波研究学園都市の並木という所から、吉瀬に通うようになって3年ばかり過ぎた。吉瀬に来るまでには雑木林の道を通らなければならないが、ここでの楽しみは様々な生き物との出会いだ。
 雑木林は、薪や炭を得るための貴重な場所で、昔は農家の人が下草を刈り、手入れをしてきた。が、燃料や石油が電気に代わり、現代生活は忙しいから下草を刈ったりの手入れが間に合わず、雑木林は荒れ、人があまり近寄らなくなってしまった。雑木林を今一番必要としているのは、クルマを止めて昼寝をする人たちかもしれないが、そういう人の中にマナーの悪い人がいて、ごみを捨てるから雑木林はお世辞にもきれいとは言えない。それでもここを通ると昼間だったら、コジュウケイ、夜だったらタヌキやウサギをよく見掛ける。そして、秋も終わりごろ、とうとうキツネと出会ったのだ。

 夜遅く仕事が終わって、道を車で上りかけたとき、ライトの中にぎらりと光る物が入った。犬だ、ひいたら大変と、ブレーキを踏み、光るものに焦点を合わせると、鋭い目がこちらを睨みつけていた。
 「キツネだ」
 キツネと目を合わせていたのはずいぶん長い時間だったような気がするが、本当は一瞬だったに違いない。ふと我に返るとキツネはくるりと向きを変え、消えていくところだった。その時、目についたのはぴんと水平に保ったあのふさふさした尾だ。ススキの穂を「尾花」というが、尾はキツネのしっぽ。実際に見た見たキツネの尾は秋の日に銀色に輝く芒の穂のようだった。
 キツネは古くから、集落の周辺で生息した動物だ。時には、人を化かすこともあったろうが、だいたいは人間に守られてきた。それはキツネが稲に害を加えるネズミなどを捕らえるからだ。
 「稲荷神社」はイネ・ナリ、つまりイネが成る意味だと言う。稲荷神社にキツネが祀られているのは、われわれの祖先がキツネを農業神の使い手として大切に守ってきた証拠だ。
 今思うと、あのキツネは、何かを言いたくて現れたのかもしれない。あの鋭い野生の眼は、最近はどうも雑木林が荒れて住みづらいと怒っていたのかもしれない。道にごみなんか捨てませんから、とおキツネ様に許しを請い、もう一度会っていただけるようお願いすることにしよう。
 


【ジュニアクラブ】小・中学生のためのネイチャー教室
鳥と友だちになろうよ

 冬は、鳥と友だちになる良いチャンスです。山や森にえさが少なくなる冬は、鳥が家の近くまで来て、人との距離(きょり)が近くなるからです。また、木の葉が落ちて、枝にとまっている鳥を見つけやすくなります。いつもより少し早起きして、鳥を見てみましょう。分かったと思っていた身近な鳥の、意外な仕ぐさにきっと驚きますよ。

季節の使者モズ

モズは秋の使者

 鳥には、卵を産んで育てるための場所と、冬の寒さをたえるための場所との間を移動(いどう)する渡鳥(わたりどり)がいます。渡鳥の移動は秋と春の2回行われますが、たとえばカモ類などの移動距離は日本とシベリアの間、何千キロにもなります。渡り鳥ほど大がかりな移動をしないまでも、ほぼ一年中日本にいる留鳥(りゅうちょう)でも、山々と里の間の短い距離を移動する鳥がいます。こうした鳥の移動で、季節の移り変わりが分かりますが、秋の使者はモズです。
 モズは、木のてっぺんや電線にとまり、「キッ、キィー。キッ、キィー」とけたたましく鳴きます。これを、「モズの高音(たかね)」と言いますが、この声が聞こえるとああ秋だなぁと思います。ことし、吉瀬でモズの高音が最初に聞けたのは8月28日でした。このように季節が分かる魚屋は名などを初めて聞いたり見た日を記しておくと、年ごとの季節の訪れの違いが分かります。
 声ばかりでなく、モズは目の周りが黒く、見た目もギャングのようです。よくしゃべるので漢字では「百舌」と書きますが、自分がとったバッタなどのえものを枝の先に指したりする変わった習性(しゅうせい)を持っています。これを「モズの早贄(はやにえ)」と言います。

ふくらむスズメ
 なんだ、スズメぐらい知ってるよ、と思うかもしれませんが、冬の寒さをスズメはどのようにたえているのでしょう。
 冬のスズメは、風をさけるように軒下や屋根の下などでじっとしています。寒さに縮こまったスズメは、体全体をぷっーとふくらませていることがあります。季節のことばをまとめた「歳時記(さいじき)」には寒いころ体をふくらませたスズメを「ふくら雀(ふくらすずめ)」と呼んでいます。寒がりな人が、いっぱい着こんだ姿にそっくりで、かわいいですね。この頃のスズメは、なぜか二羽いっしょにいることが多いようです。二羽で仲良くしているところへ別の一羽が入りこもうとしてけんかになるのをみかけます。二羽は夫婦なのでしょうか。
 「歳時記」は冬のスズメは毛並みもまるまるふくらみ、焼き鳥にするとおいしい、と書いています。昔はスーパーもなかったですし、簡単に肉が食べられなかったでしょうから、身近な小鳥は貴重なタンパク源でした。どうです、スズメがおいしそうに見えてきましたか?

冬のスズメはなぜか二羽ずつ

 

いたずらっ子のヒヨドリ
 まっ赤に色づき、そろそろ食べごろかなと思っていた柿が、いつのまにか鳥に食べられてしまった、ということはありませんか。そんな時、家の人が、
 「あっ、またヒヨに食べられちまったよ」
 と、嘆いたりしますが、この「ヒヨ」はヒヨドリのことです。
 ヒヨドリは、スズメと同じくらい身近な鳥ですが、体長がスズメよりずっと大きく、小鳥と呼ぶには少し大きすぎるかもしれません。秋になると群(むれ)を作る修正(しゅうせい)があり、どんな小さな木の実だって見つけてしまうほど、ほんとうに目のいい鳥です。
 食いしん坊のヒヨドリですが、よく見ると頭のてっぺんの毛が、寝ぐせがついたようにピンとなっていてかわいいですよ。人の家の柿を食べているのに、近づいたりするとやかましく「ピー」と鳴くあたり、まさにいたずらっ子みたいです。

ヒヨドリ

地面をつつくツグミ
 収穫の終わった田んぼ、芝畑や庭など、冬になると地面をいっしょうけんめいにつついている小鳥をよく見かけます。それらの仲間にはセグロセキレイ、ムクドリなど一年中見られる鳥もいますが、ツグミなど秋になると渡ってくる鳥もいます。
 ツグミの仲間には、ほかにアカハラ、シロハラ、クロツグミなどがいますが、肉がおいしいことから昔から「かすみあみ」で一度にたくさん捕られてきました。そのため数がかなり減ってしまった種類があり、最近は捕ることそのものが禁止されています。
 ツグミの仲間では、アカハラ、クロツグミなどは寒くなると南の方へ渡ってしまいますが、ツグミは逆に秋にシベリアなど北から渡ってきます。ツグミは体がムクドリと同じくらいの大きさですが、ツグミは体全体がこげ茶色。ムクドリは体全体が灰色で、くちばしがオレンジ色という違いがあります。
 こうした鳥が地面をつつくのは、ミミズなどの昆虫をエサとするからですが、たいがいは何羽かいっしょに周りを気にしながら忙しそうに動き回っています。なかには日だまりにいつの間にかうずくまってしまうセグロセキレイなど「のんきな鳥」もいます。このセグロセキレイは、冬になると交通量のすごく激しい交差点の信号機の上に巣を作ったり、にぎやかなところが好きな鳥です。


【フィールド・ノオト】
縄文人の生活を知ろう◆上高津貝塚ふるさと歴史の広場

 吉瀬の集落から常磐自動車道をはさんだ、土浦市上高津に、縄文時代の貝塚や住居跡を復元した「ふるさと歴史の広場」があります。
 上高津貝塚は、今から3〜4千年前の史跡です。このころは、霞ヶ浦が筑波山のあたりまで深く入り込んで、湖と言うより湾に近いものでした。水も塩分を含んだ海水で、波がそれほど立たない静かな入江は、貝、魚、海藻などを採るのに適していました。海の幸に加え、山では鹿や猪などの獣が捕れ、霞ヶ浦とその周辺の産物がいかに豊かだったかは、美浦村の陸平(おかだいら)貝塚をはじめ湖の周りにたくさんの貝塚が点在することから分かります。
 「ふるさと歴史の広場」は、縄文時代のようすをなるべくそのままで復元しようというもので、当時の植物や地形、さらに貝塚が埋もれていたようすが直接見られるようになっています。,また、発掘された縄文式土器、獣の骨や角などから造った針などは考古資料館に展示されています。資料館はビデオやパソコンゲームを使って、昔の生活が楽しく学べるよう工夫されています。とくに、平安時代に編さんされた「常陸国風土記」に登場する「製塩」の技術は、興味を引きます。
 霞ヶ浦の塩づくりは、歴史上でかなり古いものの一つと言われ、時代が下った平安時代の短歌に「藻塩(もしお)焼く霞ヶ浦」と歌われるほど広く知られていました。展示では霞ヶ浦の塩を求めて交易が広く行われていたようすが紹介され、霞ヶ浦の豊かさがよく分かります。
 上高津貝塚から、生き物の宝庫、宍塚大池までは歩いて5分くらいですので、一日掛けてゆっくり自然散策ができます。
▽上高津貝塚ふるさと歴史の広場=土浦市上高津1843(土浦と旧・桜村を結ぶ「土浦・岩井線」沿い/土浦駅より関東鉄道バス「上高津・野田団地経由つくばセンターまたは上郷高校行き」土浦養護学校前下車(本数が少ないので注意)/休館=月曜日、国民の祝日、年末年始/料金=一般105円、小・中・高校生50円/電話029-826-7111


◇「吉瀬通信」創刊号をお届けします◇通信名の「きせ」はつくば市東端にある集落で、すぐ隣が土浦市。一帯は雑木林、屋敷林を中心にまとまった自然が残る◇俳句という伝統文学があるが、俳句の季語は、自然と疎遠な生活では、なかなか目にすることができない。ところが、吉瀬に通うようになって、頭の中だけで想像していた季語の数々と出会うことができた。ここでは季節の変化を美しい色や音、風の動きで感じることができる。季語は農業によって培われてきたと言っていい◇一方、農業は自然破壊だという考えがある。その一例が焼畑農業だ。雑木林は薪や炭の原料として伐採され、時には農地にするために焼かれる。それは確かに自然破壊だが、林はそうして「手入れ」されないと、やがて常緑樹の森に替わってしまう。事実、放置された林はアズマネザサというタケが林床を覆い、生態系が崩れる◇荒れた林は住宅地など価値があるものに転換される。では、価値とは何か。祖先が営々と受け継いできた自然と人間の関係をもう一度見直したいと思う。それは農家の人だけの問題でなく、子供も含めた、文化の問題として◇どうかご一読下さい。

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